半信半疑で少年の後に付いて行くと、確かにそこにはリキシャーがあった。助手席には少年がもう一人座っていた。私が乗り込むのを確認すると、少年はアクセルを吹かし、「Let's go!(出発!)」と、勢いよく発進した。それからすぐに、少年を幼さゆえに疑った自分が完全に間違っていたのに気付かされた。まさに「大人顔負け」の運転だった。少年は「リキシャーの洪水」の中で他のリキシャーとぶつかりそうになると、大人相手に見事に啖呵をきっては、ブンブンと進んでいくのだった。
途中、ガソリンスタンドに寄った。そこでは町の不良少年たちがたむろしていて、にやにやしながら私に、「Are you Japanese?(お前、日本人か?)」と聞いてきた。しかしすぐに、「No, I am Korean, but they are a relatively good people.( いや、韓国人だ。日本人もなかなか良いやつらだけどな)」と答えた。「宿の住人たち」から「日本人であることを隠した方がいい。韓国人と言っておくと、徴兵制もある国だからなめられなくていい」と聞いていたからだった。彼らは韓国人と聞いて、態度は一変した。国籍によってこうも態度が変わるものかと思わされる出来事だった。
給油を終えて走り出すと、運転手の少年が、「You said you were Japanese. You are a liar.(あなたは日本人だと言ったじゃないか。嘘つきだ)」と言って少しブスくれていた。私はすぐに自分が日本人であることを告げ、その証拠に日本語で話してみた。そして、韓国人だと嘘を付いた理由も話した。すると彼らは、「It's hard for Japanese to travel abroad.(大変だね、日本人が旅行するのも)」と言って笑った。
それからしばらく行き、駅に着いた。料金は少し多めに払った。気分が良かった。「I said 15 rupy.(15ルピーでいいよ)」と言ってくれたが、「Because you are a good driver.(君は良い運転手だから)」と言って降りた。それからサルナート行きのバスに乗ろうとしたが、どこから乗って良いのかよく分からず、駅前のリキシャーは柄が悪く、結局行くのを止めた。
その夜、何となくバナラシを離れようと思った。帰国の日が近くなっていたし、もう1週間近く滞在していて、非日常が日常となりつつあった。特に何があるというわけでもなく、毎日、食事をしては本を読み、散歩して宿に戻るという生活になっていた。出発地のカルカッタという大都市にも興味が沸いていた。マザー・テレサにも会ってみたかった。そのことを関西人の彼に話すと彼も一緒に行くということだった。
別れの朝、宿の主人は「I'm sorry that you were cheated many times here.(君はここでたくさん騙されたね。気の毒に思うよ)」と言ってくれたので、「But I met some good people, too Thank you.(でも良い人にも会ったよ。ありがとう)」とお礼を言った。他の宿の人たちにもお礼を言った。目鼻立ちの綺麗な娘は、まだ起きていなかった。
それから最後に旧市街を散策した。関西人の彼とは行動を別にした。電車の出発予定時刻は2時だったが、関西人の彼によれば4時だということだった。「インドでは少なくとも2時間は電車が遅れるから」ということだった。それから彼は、何人かの友人に「現地から手紙を出さなあかん」ということでガンジス河のほとりに行ってしまった。私は念のため、2時前には駅へ行き、駅舎の中で本を読んで電車を待った。
関西人の彼の言った通り、なかなか電車は来なかった。3時になっても来なかった。3時半頃になって、ようやく関西人の彼が現れた。彼は特に何も言わなかった。さすが、デリーから入って、電車でガンジス河沿いに下ってきた人は違うなと思った。カルカッタは観光に力を入れているため、客引きや浮浪者はそれほど見当たらないが、デリー(首都はニューデリー)は物凄いと聞いていた。空港から出るや否や、人の波が押し寄せ、リキシャーの客引きに遭い、大概の旅行客は滅入ってしまうらしかった。ある旅行者は言っていた。「カルカッタから入ると徐々にインドに慣れていけるけど、デリーから入るといきなりインドに慣れて、そしてだんだんと日本に戻っていけるね」。関西人の彼も、もうすっかりインドに慣れていた。
関西人の彼はとても旅慣れしていた。暇を見つけては海外旅行をしているらしく、曰く、「イタリアとスペインは面白かったで。街を歩いていると向こうから声を掛けてくるんや。そやけどインドはもっとすごいなあ」ということだった。「じゃあ、僕はいきなり凄いのに当たったということですか?」と聞くと、「大当たりや。よくこんな所を最初の海外旅行先に選んだもんやな。ここに来れば、どこにだって行けるし、下手するとどこに行っても詰まらんかもな。もうアマゾンぐらいしか行くとこないんちゃうか」ということだった。インドしか海外を知らない私には今ひとつピンと来なかったが、彼が私を褒めて言っていることだけは良く分かった。
行きと違って、カルカッタまでは何事もなく着いた。朝の目覚めも良かった。一つ不思議なのは、車内でずっと蚊取り線香を点けていても誰一人文句を言ってこなかったことだ。普通は、「煙たいから消せ」とか言ってきそうなものだが。インドではよく香を焚くので、あの匂いには慣れていたのかもしれない。またインド人がある意味寛容だからかもしれない。
カルカッタに着くと、まずはホテル探しから始めた。最後ぐらい良いホテルに泊まりたかった。関西人の彼が良いホテルがあると連れて行ってくれたのは、一日200ルピー(約600円)のこざっぱりした宿だった。部屋にトイレもあった。疲れていたので早々とそこに決めた。そしてしばらく旅の疲れを取るためにベッドに横になった。しばらくして端のほうでねずみが小走りするのが聞こえた。